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駄菓子屋「みきや」55年の歴史に幕 愛が途切れなかった最後の一日

良店紹介

長池小学校の通学路に位置する、駄菓子屋「みきや」。

青いビニールの屋根が目印で、「おっちゃん」と「おばちゃん」のご夫婦が営んできました。

 

長池公園にも近く、放課後はいつも子どもたちの笑い声があふれていました。「みきやのお菓子を食べたことのない子どもは、このへんにはおらん」。そう断言してもいいほど、地域に密着したお店だったと思います。

長く子どもたちを見守ってくれたみきやでしたが、11月30日、地元の人たちに惜しまれながら、55年の歴史に幕をおろしました。

みきやへの愛が途切れることなく続いた、最後の一日に密着しました。

※写真の一部を加工している場合があります。

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放課後、午後3時過ぎ。店内はすでにお菓子を吟味する子どもたちが列をなしていました。

「もう、3日ほど前から毎日こんなん。えらいこっちゃで」

ビニール袋にお菓子を詰める手を休めることなく、おばちゃんが早口でまくしたてます。

手に買い物かごを持った子どもたちは、「今日はお金いっぱい持ってきた。好きなやついっぱい買っとくねん」と屈託なく笑っています。

 

みきやのオープンは、1967年。

もともとは、おっちゃんのお母さんがパン屋として開いたお店だそうです。屋号の「みきや」は、おっちゃんの名前(幹郎と書いて、みきお)から名付けられました。23歳で結婚したおばちゃんが引き継ぎ、30年ほど後に駄菓子屋となりました。
以前はみきやの他にも2、3軒、駄菓子屋があったと言いますが、どれも店主の高齢化などを理由に閉めてしまったそう。おばちゃんは、「おっちゃんと二人やったから、なんとかやってこれたんかな」と振り返ります。
この町唯一の駄菓子屋となったみきやへ、放課後のおやつや遠足のお菓子を買いに、子どもたちは訪れました。待ち合わせ場所としても人気だったそうです。


この日訪れた小学6年生の女の子は、「スーパーとかじゃなくて、みきやで買うのが良かった! お店が道端にぽつんとあって、おっちゃんとおばちゃんがおったから楽しかった」と元気いっぱいに話していました。

みきやは、お菓子を売る駄菓子屋としての価値を超えて、子どもたちの「居場所」を提供してくれていたのでしょう。
子どもたちは、地域の良き商いを知り、味わうという「バイローカル」を、幼いころから実践していたのだなと気付かされます。

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午後4時を過ぎるころ、店の前には長蛇の列ができていました。親子連れ、友達同士のグループなどさまざまです。

いつもはお店の外で自転車の整理をするおっちゃんも、今日ばかりは店内でお会計に追われます。「あれ、全部でなんぼやった? もう、おかしなってきたわ」と困り顔。子どもたちが自ら計算し、手伝う様子も見られました。

売り切れも続出!

おばちゃんは、外の倉庫から在庫を出しては並べを繰り返しますが、なかなか追いつきません。
ある男の子は、「どらチョコ」を手に「あー、ずっと保管しときたいけど、カビ生えるやんなあ」と、寂しそう。みんな、「もう買えんくなるから」とお気に入りにお菓子を次々手に取ります。

 

しかしこの日は、多くの人が買い物以外の目的で訪れていました。「おっちゃんおばちゃん、今までありがとうございました」

小学生の男の子が、おっちゃんに小さなメッセージカードを手渡します。幼いころ、みきやに通っていたという女性は、涙ぐみながら花束を贈りました。感謝をつづった手紙を渡した男子大学生は、「この町を見守ってくれていた店やと思う。寂しい気持ちが一番」と、名残惜しそうにしていました。

駄菓子を置いていたラックには贈られたブーケが飾られ、店内に色どりを添えます。「ほんま、お店がお花畑になってしもうてねえ」。おばちゃんが顔をほころばせます。「この間はにしんのお漬物くれた人もおったわ。閉店祝いで漬物もらうん、おばちゃんくらいやで」。混雑した店内に、笑い声が上がります。


日が落ちてきました。
さあ、閉店まであと少しです。

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いつもなら店を閉める午後5時を過ぎても、お客さんの列は止みません。むしろ、さらに長さを増しているようでした。
おばちゃんが外に出て謝ります。「ごめんね、並んでもうても、お菓子ないかも知れんねん」
だけど、お客さんが1時間近くも並んでいた理由は、「ありがとう」の気持ちを伝えるためでした。


子どもたちがお世話になったという保護者の方々から、「感謝状」が贈られます。手作りの賞状には、「あなたは永きに亘り 多くのこどもやおとなを 幸せにしてくれました」とあります。たくさんの笑顔に囲まれて、おばちゃんが思わず涙ぐみました。

「ほんま、幸せな商売させてもらったわ。ありがとう」

その横では、店前に並ぶ自転車を高校生たちが自主的に整理していました。「ほんまはお菓子を買いに来たんですけど、良い最後の日になるように手伝いたくって」と言います。
おっちゃん、おばちゃんはいつも、「近所の迷惑にならんように」と繰り返していました。夕方になると公園に出て、ごみ拾いをしていたおっちゃんを記憶する人も多いと思います。
みきやが撒いた種は、子どもたちの心の中にしっかりと芽吹いていました。


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午後6時半。お店の外がすっかり暗くなり、ようやくお客さんの列ははけました。
店内はすっからかん。ほとんどのお菓子が売り切れました。

「おっちゃん、みきや閉めるん寂しいわ。家の前でいいから続けてよ」
「おっちゃん、おばちゃん、ほんまに長い間ありがとう」
「これからも元気でおってね。また会いに来るな」

多くのあたたかい言葉を受け取って、おばちゃんは「泣かされるわ。ほんま、みんな、良い子やわ」
と胸に手を当てました。

お別れの時間です。

自転車に乗った子どもたちは、何度も何度も振り返りながら帰ってゆきます。
おっちゃんとおばちゃんは、並んで最後のお客を見送りました。
おばちゃんは、この日何度も繰り返した別れの言葉を贈ります。

「ありがとうな、ほんまに。良い人生を送ってね」

 

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「にぎやかな最後で幸せ」
おっちゃんとおばちゃんのお話

後日、お話を伺いました。

―――本当に、たくさんの人が来てくれましたね

おばちゃん:ほんまに、閉める前は毎日すごくてね、ありがたかった。お菓子も全部なくなってしもた。お花やお菓子、お手紙も、たくさんいただいた。あとはこの前も言うたけど、にしんのおつけもんな。頂いたものはみんな、宝もんやわ。似顔絵くれた人もおる。おばちゃんこんなにきれいか?
おっちゃん:えらいお嬢さんに描いてもらって。はっはっは。

 

―――最終日は、朝から大忙しだったそうですね

おばちゃん:そう! 私が午前中に病院行かんとあかんかってん。10時ごろみきおさんに電話したら、もうお客さん来てる、って言うやん。看護師さんに「今日ははよ帰らせて」ってお願いしとったんやけど、運よく予定より3時間早く終わって、ほんまに良かった。お医者さんに「電車の中でも走り!」って言われたから、「そうしますー!」言うて、11時過ぎに帰ってこれたんやけどね。
おっちゃん:お昼ごはん食べかけて、そのまま、もう食べる間がなかった。
おばちゃん:ありがたいことでね。貧しい、小さな駄菓子屋を、ここまでかわいがってもらった。閉店祝いならわかるけど、こんなにぎやかな閉め方させてもらえるなんて、贅沢な話やと思うわ。閉店って、気付いたらなくなってる、っていうところが多いやんか。
昔よお通ってくれてて、タクシーで駆けつけてくれた高校生もおった。もう、「うええん」って泣くから。握手して、ハグして。ほんまはコロナやからあかんねんけど、小さい時いっつもハグしとったから。家帰っても泣いとったらしいわ。

―――長年、地域の子どもたちを見守ってくれました

おばちゃん:もう、どれだけの子を病院へ連れてったかわからんな。
おっちゃん:みんな怪我したり、なんやかんやなあ。
おばちゃん:昔の子は特に多かったよ。手にトゲ刺さった、とかな。針をマッチで焼いて消毒して、抜いてあげてた。今は老眼やから、どこに刺すかわからんからできひん。あとは子どもって、絆創膏はってあげるだけで安心するねんな。泣いてた子が途端に泣き止むねん。でも、今の子は怪我せえへんなあ。
おっちゃん:公園で遊ぶ子が減ったなあ。第一、公園の遊具が減ったなあ。
おばちゃん:それでも、親御さんにはずいぶん感謝された。「町の宝物です」って。「みきやはいつもそこにあって、この町と私たちを守ってくれました」って、手紙ももらった。子どもらも、「僕の子どもや孫も面倒見てほしかった」って言うてくれる。「あんたよりも年とるわ」って返すけどな、ほんまに泣かされる。「みきやがなくなるというのが、頭になかった」「おっちゃんとおばちゃんがおるのが当たり前やった」って。

 

―――みきやファンの皆さんへ、メッセージをお願いします。

おばちゃん:おばちゃんと、みきやを愛してくれてありがとう。

おっちゃん:みきやに来てくれた子どもたち、みんな立派に育ってくれました。これからも幸せな人生を送ってね。

 

 

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